息子が生まれる前から飼っていた愛猫が、昨年(2024年)、15歳で亡くなりました。
実家でペットを飼っていたことはありましたが、私自身がメインでお世話をするのは初めてだったので、ペットを亡くした時、どういったことが必要になってくるのかわからないことが多々ありました。
悲しむだけでなく、飼い主として最後まで責任を果たさなければなりませんから、
ペットとのお別れが近づいた時に調べたことや、実際にどのようにお別れしたのかについて今回は書いていこうと思います。
【火葬は個別か合同か】
愛猫がシニア期に入った頃から火葬方法については家族で話し合っており、他のペットと一緒に火葬をする「合同火葬」にしようと決めていました。
我が家では遺骨を管理しておくのが難しく、ペット霊園で遺骨を供養をしてもらった方がいいと考えていたからです。
しかし、いざ愛猫の最期が近づいてきた時、いなくなってしまう寂しさや、もっと一緒にいたいという思いが強くなり、遺骨を家に置いておき、近くで存在を感じていたいなと思うようになりました。
そのため、遺骨の保管場所をなんとか確保し、しばらくしたら庭に散骨しようと決め、火葬方法は「個別火葬」にすることにしました。
【愛猫が亡くなってから行なったこと】
[体を拭く→姿勢を整えてタオルを敷いた段ボールに収める→保冷剤で冷やす→ペット霊園へ個別火葬の予約の電話をする]
当日は、このような流れだったと思います。
ありがとう、とお礼を言って、旅立ってしまった愛猫に話しかけながらまぶたと口を閉じ、体を丁寧に拭きました。
口元が結構汚れていたのですが、生きている間は嫌がって拭かせてもらえなかったため(恐らく痛みがあったため)、そこをよく拭き取り、やはり最期は排泄をしてから亡くなるようで、はいていたオムツの中が汚れていたため、お尻まわりも丁寧に拭き取ってお清めをしました。
亡くなった時に慌てないよう、亡くなった後の流れを頭の中で何度かシミュレーションしてはいたのですが、やはりお別れはとてもつらく、ペット霊園に電話をする時にもなんとか平静を装っているような精神状態でした。
翌日に火葬の予約をしたため、亡くなった当日の夜は、愛猫、息子、私の3人で一晩一緒に過ごし、同じ部屋で寝ました。
子供の頃実家で飼っていた猫が亡くなった時も想像したことなのですが、「目を開けて息を吹き返すんじゃないか」とか、「朝起きたら普通に生きているんじゃないか」とか、大人になってからもそういった希望は抱いてしまうものですね。
ありえないことだとわかってはいるんですが。
【いよいよ火葬の日】
愛猫が亡くなった翌日。
火葬の予約は11時にしており、息子と二人でペット霊園へ向かいました。
受け付けを済ませ、愛猫をスタッフの方へ預けると、お線香をあげるように言われ、息子と1本ずつお線香を祭壇へあげました。
特にお別れのセレモニーのようなものはなく案外あっさりとしていて、火葬にかかる時間は1時間ほどだということだったので、私たちは一旦外へ出て昼食を取りました。
約1時間後に施設へ戻ると既に火葬は終わっており、骨になってしまった愛猫と対面しました。
ここで、個別火葬にして本当によかったと思ったことがあります。
それは、人間の火葬後と同じように、遺骨を拾い上げる『骨上げ』ができたことです。
スタッフの方が骨の部位について説明をしてくださり、説明を聞きながら息子と二人で遺骨を骨壺に収めていったのですが、骨になってしまってもとても愛おしく、感慨深い気持ちになりました。
火葬にかかった料金は、火葬、骨壺、骨袋がセットで税込22,000円でした。
帰りがけ、なぜかヤクルト1000をいただきました。
ペットロスで睡眠不足だろうからというお心遣いだったのでしょうか。
【食べなくなってから何日生きる?】
愛猫が食事を取らなくなってから、「猫 食べない 何日生きる」等とネットで何度も検索しました。
調べた結果、長くてあと2週間くらいだろうと覚悟していたのですが、なんと愛猫が亡くなったのは、絶食から33日後でした。
水を全く飲まなく(飲めなく)なってからは1週間生きました。
とても美形な子だったのですが、亡くなる2日前から急に表情が激変してしまい、不謹慎な例えになってしまうかもしれませんが、グレイといわれる宇宙人のような顔つきになってしまいました。
参考までに、こういった顔つきです↓

目がつり上がるのは、死期が迫った猫に現れるサインだということを後から知りました。
食べなくなってから長く生きれば生きるほど、とても痛く、苦しかったと思います。
私も、もっと一緒にいたいけど、かわいそうで見ているのがつらく、「早く楽になりたいね」と声をかけてしまうこともありました。
飲まず食わずだったため体力はもうほとんど残っていなかったと思うのですが、おしっこをしたくなったらフラフラしながらもトイレに行ってしようとがんばっていました。
漏らしてしまうこともあったためオムツをはかせていましたが、それでもきちんとトイレに行って排泄をしようとしていて、そのまま疲れてトイレの中に座り込んでしまうこともありました。
その度、本当におりこうだな、すごいな、そんなにがんばらなくても大丈夫なのにな、と、色々な感情が交錯し、とても切ない気持ちになりました。
愛猫の死後、今でもずっと後悔していることがあります。
それは、亡くなる瞬間を看取ってあげることができなかったことです。
外出していた3~4時間くらいの間に一人で息絶えてしまっていました。
既に死後硬直が始まっていたため、私が家を出てからそれほど時間が経たない間に亡くなってしまったんだと思います。
それまでは、最期は一緒にいてあげられるようにとつきっきりで看病していましたが、私が出掛けたタイミングで逝ってしまいました。
最期は私の腕の中で息を引き取るものだと勝手に思っていたので、
なぜ出掛けてしまったんだろう
一人で逝かせてごめんね
と、とても後悔しました。
愛猫にとっては、死の瞬間を飼い主には見せたくなかったのでしょうかね。
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愛猫の死で、息子は初めて大切な存在の死に直面することになりました。
私が知らないところで1人で泣いていたようで、
「悲しみの涙は苦いね」
と詩人のようなことを言っていました。
本日も、最後まで読んでいただきありがとうございました。